アップルコンピューターの製品が、こんなにも人を魅了し、受け入れられるのは、「技術的にどうのこうの」という部分も満たしつつ、それ以上に「美しさ・使いやすさ」などのモノとしての機能美があったからだと思います。
■99%では満足しない
iPodをはじめとするアップルコンピューターの製品の生みの親である「Steve Jobs氏」は、製品開発において、決して妥協を許さなかったという逸話も多く聞かれます。
その中には、99%の完成度では満足せず、必ず100%かそれ以上のものを求めたとも言われています。
特筆すべきは、企業のトップ自らが「自分が使いたい!欲しい!」と思える製品のみを発表してきたことだと思います。
だからこそ「作品」と言われるのだと思います。
ビルゲイツ氏もソフトウェア開発においてはかなり細かくプログラマにくってかかると聞いたことがありますが、ビルゲイツ氏の場合は、「技術的優位性」や「ビジネスとしての面白さ」のほうに大きなウェイトがあったと思われます。(あくまで僕の想像です)
■こだわれば排他的になる
それほどまでにこだわっている製品開発であるからこそ、結果的に排他的な製品がたくさん生まれてきたとも言えます。
求めている究極のプロダクトに仕上げるためには、コストを下げるために納得いかない技術や部品を使うのではなく、徹底的に理想を求める。
その結果、どうしても自社オリジナルの仕様にならざるを得ないし、自分たちが満を持して発表している製品を、わけのわからない第三者に勝手にカスタマイズされたくないという思想になるのだろうと思います。
一方で、そういう開発姿勢によって生み出された製品だからこそ、多くの人は魅了されたのだと思います。
SONYのそれとはまた違う「排他的」です。
うまく言えませんが、この感覚、わかっていただける方、いらっしゃいますかね?
■究極の自己満足
なんだかんだといって、アップルコンピューターの製品は、究極の自己満足製品なのではないかと思います。
良いとか悪いとかではないし、こんなにも多くのファンやマニアがいるぐらいなので、逆に「悪い」とは言えないですね。
自分が欲しい物を作るということは、欲しくないものは作らないということだし、「自分が欲しい=誰もが欲しい」とは限りません。
ただ、「欲しい」の本質にあるものが、とても先進的で、そして本質的であったことは事実だと思います。
■ある時代のau
個人的にですが、ある時代のauも、とてもおもしろい企業だと思っていた事があります。
「そうそう、そういう機能が欲しかった!」とか「それを待ってました!」みたいなコンテンツやサービスをたくさん提供していた時期があったことを記憶されている方も多いかと思います。
ただ、「へー!そんな世界もあったんだね」という新しい提案というか、新しい考え方を生み出したという記憶はありません。
■結局最後は
その意味からも、技術的に優れているとか、天才的な技術開発力があるとか、そういうことは結構どうでもよくなってきていて、「新しい価値の提案」とか「新しいライフスタイルの提案」とか、そういうことができる企業しか、モノ作りの分野では生き残っていけなくなっている時代になったんだなと思います。
そして、ますます人としての感性が大切にされる世の中になっていくんだろうなと思います。
■そういえばF1も
書いていて思い出しましたが、僕はF1も好きですが、以前ほどのめりこんでいません。
それはある時から、F1が美しくなくなったからです。
エンジン音、フォルム、デザイン、どれをとっても、以前のF1に比べて美しさがありません。
もっといえば、レース戦略やピット戦略ですら、以前は美しかったのに、今は退屈すぎます。
一方で、エンジニア達による技術開発はとんでもないスピードで進んでいます。
いくら技術的に優れていても、やっぱり美しくないものには魅力を感じないんだなと、これを書きながら、あらためて再認識しました。
日本ではデザイナーやカメラマン、クリエイターなどは成功する仕事になりにくいですが、世界では事情が違います。
日本において、クリエイターが本当の意味で認められ、尊敬されるようになった時に、はじめてアップルコンピューターのような企業が認められるようになるんだろうなと思います。